育手の想い

いぶさな牛の故郷・宮崎県川南町は、宮崎県中央部の海岸沿いにあり東は日向灘、西部には九州山地がそびえる自然豊かな土地です。

温暖な気候で豊かな自然と尾鈴山系の伏流水に恵まれた丘陵地に森木畜産の牛舎はあります。

牛舎

いぶさな

抜けるような空の広がるのどかな土地で、
いぶさな牛・竹ノ谷蔓牛と共に暮らす。

ここで飼育されている牛は、黒毛で一般的にイメージする和牛より大きい体格が特徴的。

これは竹の谷蔓牛の血統を引いているからに他なりませんが、いぶさな牛を知る上で改めて「竹の谷蔓牛」とはどんな牛なのか、どんな魅力があるのかをご紹介します。


 

日本最古の和牛の純血種
「竹ノ谷蔓牛」

 

竹ノ谷蔓牛は岡山県が原産で、現存ではたったの数十頭しか飼育されていない希少中の希少ともいえる和牛です。

竹ノ谷蔓牛

日本最古の和牛・竹ノ谷蔓牛。
実際の姿を見ると、その体格と佇まいに圧倒される。

頭数が少ない理由は、脂身が少ない赤身の牛に対し、霜降りが重宝される現代において生産量が減ったことに加え、飼育に時間がかかり年間1〜2頭しか出荷されない極端な生産量の低さから数が減少しました。
この牛は体格が大きく、その分肉量も多い。山深い土地での農耕というより砂鉄を運ぶのが仕事だったこの牛は、そのルーツから小回りが利くよう、モモがぎゅっと締った体型をしています。

赤身が特徴というのは、このように日本の急峻な山で働く環境に順応していたからでしょう。

 

和牛の原種を守ること、
それは和牛の歴史を残すこと

 

岡山県新見市(主に、神郷釜村)で飼われていた竹ノ谷蔓牛。1830年頃に創生され、一時は高名を馳せた蔓牛も徐々に頭数を減らしていき、絶滅の危機に瀕していました。地元の畜産農家さんも「子どもの頃は地域一帯にたくさん牛がいた」と話しています。

森木畜産の森木清美さんが竹の谷蔓牛に出会ったのは、今から十数年前、ちょうど宮崎県で口蹄疫が発生し、飼っていた牛が全頭殺処分にあった頃でした。
森木さんは、竹ノ谷蔓牛を初めて食べたときに「昔食べた、本来の和牛の味」を見出します。「この味を失う訳にはいかない!」と竹ノ谷蔓牛での再起を決意します。

一方で竹ノ谷蔓牛は遺伝的に今の交配が重ねられた血統とは違い、純血種としてとても貴重だということがわかったのです。今ではいぶさな牛を扱う森木畜産のように、徐々に支持者も増え一層種の保存の使命感が増すともに、畜産の未来を担う可能性を秘めた牛ともいえるでしょう。

今では森木さんの娘さん夫婦も加わり家族一丸となり、いぶさな牛に向き合っています。

竹ノ谷蔓牛と駒崎さん

竹ノ谷蔓牛と娘さん夫婦。


 

一頭を余すところなく使う、
森木畜産の一貫生産へのこだわり

 

森木畜産のいぶさな牛作りは、繁殖から加工・販売まで一貫して行う生産スタイルです。通常は繁殖や肥育によって技術が大きく違うため、それぞれの工程を担う農家で分業されています。
森木畜産がいぶさな牛を一貫生産する理由は、「一頭を余すところなく使い切る」という想いがあるから。

「牛は家族のよう」と話す森木畜産の考え方は、家族のように大切に手間暇かけて育てたいぶさな牛を、色々な部位を余すところなく使っていくには、加工も工夫して責任をもって消費者の口に届けていきたいという愛情からくる想いなのです。

いぶさなと駒崎さん

加工

飼育から加工・販売までを一貫して行う。
自ら育てているからこそ、隅々まで知り尽くしている。

 

生産者だから伝えられる
美味しさ、大切さ

 

いぶさな牛を育てる中で森木畜産が大切にしていることは、「常にお肉がおいしくなるように」ということ。飼料もどんどん改良し、より竹ノ谷蔓牛に近い品種として美味しく進化しています。

理想の和牛いぶさなは、まだまだ完成形ではありません。
もっと良い、もっと美味しいお肉を作るために、日々奮闘しています。

 

いぶさな牛と駒崎さん

いぶさな牛と、森木畜産の皆さん。